なにわママの子育て

「義務教育」を間違えて解釈してた。学校は行かなくてもいい。

こんにちは!minto(@minto_cafe7)です!

今日は「不登校は不幸じゃない」発起人である、小幡和樹さんの「学校は行かなくてもいい」を読んだ感想をまとめました!

「学校ってなんのためにあるんだろう?」

「教育って何だろう?」

「子供の尊重って何だろう?」

と、読みながらたくさんのことを考えさせてもらえる本でした!

 

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義務教育の意味を間違えて解釈してました

小幡和樹さんの著書「学校は行かなくてもいい」を読んで一番印象的だったのが、「義務教育の「義務」は「学校に行く義務」じゃなかった」という部分です。

私は生まれてこのかた、何の疑いもなく「義務教育=学校に行く義務」だと思っていました。

だって、これまで当たり前のように「中学生までは義務教育だから」と言われて育ってきたんですもん。

国民の三大義務の「労働、納税、教育」の「教育」は、自分が教育を受ける義務だと思ってましたよ(苦笑)

でも、この「義務」は「大人が子供に教育を受けさせる義務」であって、「子供が教育を受ける義務ではない」ということを知り、自分の持ってる認識を疑うことの重要性を再認識しました。

この「教育の義務」を正しく認識している大人は、世の中にどれだけいるのでしょうか。

「女子の人間関係」は逃げ場を教えてあげることが大事

私が子供の頃は、学校に行くのが当たり前という無言の教育を受けていたように思います。

だから、学校でどんなに嫌なことがあっても、「休む」という発想はなかったし、親に相談するということもできませんでした。

正直、小、中学校時代はあまりいい思い出はありません。

いわゆる「女子の人間関係」に苦労しました(汗)

自分の居場所を確保するために、みんなの中に入っていくことに必死だったように思います。

小学3年生の時に、Aちゃんと一緒に帰る約束をしていたのだけど、近所に住む1つ年上のお姉ちゃんに「一緒に帰ろう!」と言われました。

そのお姉ちゃんは、近所でも有名な女版ジャイアンの様な子で、逆らったらいじめられるという感じだったので、私はAちゃんと約束していたにも関わらず、そのお姉ちゃんと帰るという選択をしてしまいました。

「明日、Aちゃんに事情を話したらわかってくれるはず」と思ってたけど、次の日学校に行ったら、グループの子たちに無視されました。

グループみんなの交換ノートがあったのですが、自分の名前の部分だけグシャグシャと黒く塗られているのが見えた時はすごくショックでしたね。

だけど、そもそもAちゃんとの約束を破った自分が悪いという罪悪感があったので、なんの弁解もできず数日間孤立状態が続きました。

日にち薬のようなもので、徐々に元のグループに戻ってはいけたのですが、今度はそのグループの別の子が悪く言われる様になりました。

そして、今度はその子が数日間ハブられることになりました。

本当なら、一度辛い目にあった自分だからこそ、その子を守ってあげるべきだったんだと思います。

だけど、当時の私はそれができず、自分もその子を避けるようになってしまいました。

自分が無視された経験よりも、自分がその子にひどいことをしてしまったことの方が、辛い経験として記憶に残っています。

思い出すと、すごい罪悪感が襲ってくる。

だけど、当時小学3年生だった自分は、「学校」という限られた場所の中で、自分の居場所を守らないといけないと思ってしまい保身に走ってしまいました。

そのグループでは、いじめのメインとなっている子以外が、順番に仲間外れにされるという状態が続いていたのですが、多分周りの子たちも自分の居場所を確保することに必死だったと思います。

もしあの頃、「別に学校に行かなくてもいい」という安心感があれば、もっと状況は違ってたんじゃないかな。

それは私自身もだし、そのグループにいた子達みんなもです。

学校のいじめというのは、「学校は行かないといけないもの」という固定概念も、問題を深刻化させやすい要因の1つだと思っています。

みんな「学校は行かないといけない」と思ってるからこそ、自分の居場所を守るために、いじめが目の前で行われてても止める勇気がもてないし、いじめられている子も、問題が深刻化して学校に行けなくなるのは困るから親や先生に相談できないと思ってしまったりすると思います。

また、いじめている子自身も、本当は自分の居場所の確保に必死だったんじゃないかなって思います。

今振り返って思うのは、これまで自分が見てきたいじめの首謀者になっていた子は、家庭に居場所がなかったんじゃないかなと思うケースも多く、そのため学校で誰かをいじめることでしか、今自分が抱えている不安を消せなかったんじゃないかなとも思います。

いじめている子を擁護する訳じゃないけど、人をいじめるようになった何かしらの要因はあると思うんです。

もしそうだとすると「いじめはダメ」と子供に伝えることで、いじめがなくなるなんてことはありえません。

もう、いじめは起きるという前提で、いろんな立場の子供たちに逃げ場を作っておいてあげることの方が、学校で起きるいじめ問題解決の糸口になっていくと思います。

そのためにも「学校は行かなくて”も”いい」っていうのは通常の認識になっていってほしいです。

もし「学校は行かなくて”も”いい」ということが当たり前になれば、いじめられた子ももっと早くにSOSを出せると思うし、もっと気軽に学校を休むという選択ができるようになると思う。

また周りで見ている子たちも、「学校に行かなくて”も”いい」という認識があると、もっと他の選択肢を取れるようになると思うんです。

逃げ道がないと思わせることが、子供たちを一番追い詰めてしまうんですよね。

大人たちが、子供達を「何かあったら守ったるから安心しいや!」って、暖かい空気で囲んであげることが、子供のいじめ問題解決には非常に重要だと感じています。

そのためにも「学校はいかなくて”も”いい」という認識が広がってほしい。

学校は万能じゃない。「学ぶ」の本当の意味を理解するのが大人の課題

学校は決して万能な場所ではないです。

だから、学校に馴染める子もいれば馴染めない子もいるし、先生と合う子もいれば合わない子もいる。

学校で目標を見つけられる子もいれば、見つけられない子もいるし、学校で一生の友達を見つけられる子もいれば、友達を見つけられない子もいる。

それが当たり前だと思います。

そんな中で、一律の教育をしながら「全員きなさい」という方が無茶なんです。

中学生の頃、何かの授業の時に、クラスのみんなが仲良くできるためにはどうしたらいいか。という作文を書く課題がありました。

ちょうどその時に、友達との仲が色々とこじれててストレスいっぱいだった私は、「どうしてたって合わない人だっているのに、何で無理に仲良くしないといけないのかが分からない」と書きました。

そしたら、クラス全体に配るプリントに私の作文がのり、その私の作文に対して先生が「このように悲しい意見もありました」とコメントしていました。

わざと吊るし上げられた気がして、その先生のことが嫌いになりました。

もし、いま当時の先生にその時の話ができるなら、

「いやいや、大人だって、合わない人間いっぱいいるじゃないですか。

先生は今まで、合わない人との関わりで悩んだこととかないんですか?」

とか、聞いてみたい。

大人は「苦手な人と距離をとる」ということをするのに、子供には「みんな仲良くしないといけない」と教育するのは、子供の権利を奪っているのと一緒です。

それに、そもそも学校って何のためにあるのかというと「学ぶ」ためだと思うのですが、この「学ぶ」というのは、決して国語とか数学といった教科の話ではありません。

友達との人間関係を学んだり、自分の課題を見つけて挑戦したり、問題解決能力を身につけたり、もっと広い視野で生きる力を学ぶ場所なわけです。

特に、この「友達との人間関係」というのは、決して「仲良くする」というだけじゃなくて、上手な距離の取り方を学ぶ場所でもあると思います。

合わないと思ったらあえて関わらないというのは、「逃げる」とか「コミュ障」とかではなく、お互いにとって平和に過ごすための距離の取り方を学んでいるわけです。

(苦手な人との距離のとり方って、「誰かと仲良くするスキル」よりも、ある意味重要なスキルですよね。)

また、いじめられた時に学校に行かないという選択だって、「逃げる」ではなくて、いま目の前で起きている問題を解決するための1つの手段として選択しているにすぎません。

大人自身が、大人の意図しない行動に対して何でも「逃げる」と表現しているだけだということに、まず気づかないといけないなと感じています。

不登校は「問題解決能力」に繋がる大事な選択

不登校は「逃げ」という印象を持っている人が多いように感じますが、私は不登校という選択ができる子は「問題解決能力がある子」だと思っています。

みんなが学校に行っている中、行かないという選択をするって、すごい勇気のいることだと思うので、その選択ができたことが立派だとも思います。

だから「学校に行かないから成長できない」なんてことはないはず。

世の中には「正解」なんてないし、どのみちを通ったら「成功する」とかもわかりません。

その時の選択が、自分にとって適正だったかがどうかは、後からしか知ることができないのです。

学校を行かないことが正解かもしれないし、後で後悔するかもしれない。

だけど、それは学校に無理に通った時も一緒で、無理して学校に通ったことが正解かもしれないし、後で後悔するかもしれないわけです。

何が正しいのかなんて、後にならないと分からないのに、自分の頭の中にある「常識」を他の人に当てはめてはいけないのです。

今の時点で何が正解かなんてわかりません。

だからこそ、いま大人たちが子供たちにしてあげられることは、子供が安心して自分の意思決定ができるようにサポートしてあげることだと思います。

子供の意思決定を支える教育をしていこうと思う

人間が生きていく上で、一番大事な能力は何かというと「自分で考えて、決断し、行動する力」です。

だから、その「自分で考えて、決断し、行動する力」を養っていけるような環境を作ってあげれば、学校であろうと、自宅であろうと、生きるための力は身につけていけるわけです。

逆に、大人の意見を押し付けて、子供の自分で考える機会、決断する機会を奪う方が、教育とはいえません。

もし、不登校という選択が、その子が自分で考え、決断した結果なのであれば、それは「生きるための力を1つ身につけた」という評価がされる世の中になってほしいなと思います。

子供の権利条約の中の、

「子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。」

「子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。」

この部分が、もっと世の中で浸透しますように!!!!!!

 

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